練馬大根のナゾ

 はるばるエジプトから日本にやって来た大根。じゃあ、練馬大根はいつ頃からつくられるようになったと思う? それがね、実はよくわかってないんだ(世の中、わからないことだらけさ!)。でもね、いくつか、「きっとこうだったはず」というお話(こういうのを「説(せつ)」という)があるよ。どれがホントか、推理してみよう!

 1つ目は、「将軍綱吉説」。江戸時代に下練馬村(いまの北町、錦、平和台、氷川台、早宮、羽沢、栄町、桜台あたり※)で、当時の将軍・徳川綱吉が病気を治すために休んでいた。そのときに練馬のお百姓さんが、綱吉のためにつくった大根を練馬大根と呼ぶようになったというお話。

 2つ目は、「又六説」。時は同じ江戸時代のこと。上練馬村(いまの田柄、光が丘、春日町、高松、向山、貫井あたり※)の百姓(ひゃくしょう)・又六が大根を育てたら細長い大根ができた。珍しいので、それを「練馬大根」と呼ぶようになったというお話(う~ん、どっちもホントみた~い)。


(左) 又六庚申塔  (右) 又六庚申塔の銘文


練馬大根碑

 そして3つ目は、1つ目と2つ目の説をドッキングさせたようなもの。1937年(昭和12年)に練馬区漬物組合の人たちが建てた『練馬大根碑』(詳しくは4話)に書いてあるんだ。目をこらして読んでみると……、将軍・綱吉が練馬にいたときに、上練馬村の又六に尾張の大根のタネを与えて育てさせた。そのあと、練馬大根は各地でつくられるようになり、福島県や北海道の函館にも広まった、って書いてあるんだ。

 3つのお話に共通しているのは、「練馬大根がつくられはじめたのは江戸時代」ってことだね。

※下練馬村と上練馬村:江戸時代に地名に「上」がついているのは京都に近い方をさしている。したがって関東地方では「下」が東であるのに対して「上」は西に位置することが多い。例えば上野・こうづけは群馬。下野・しもつけは栃木。

※参考:練馬区ホームページ「練馬の地名 今むかし」