練馬大根の発祥(はっしょう)の地を訪ねてみよう!

練馬大根がつくられはじめたところ(発祥の地)の1つと言われているのが、練馬区春日町の愛染院(あいぜんいん)。春日町は、むかしの地名だと上練馬村と呼ばれていたあたりで、愛染院はこの村に古くからある真言宗(しんごんしゅう)のお寺なんだ。ここには、練馬大根にかかわりのあるものがいっぱいあるよ。

 まず、お寺へ向かう道のはじまるところにあるのは、さっき3.「練馬大根のナゾ」で登場した「練馬大根碑」。そのとなりには、練馬大根の改良と普及をいっしょうけんめいやった「鹿島安太郎翁顕彰碑(かしまやすたろうおうけんしょうひ)」もある。もちろん、それだけじゃないよ。墓地には練馬大根伝説の又六を生んだ鹿島一門の墓、その近くには「又六庚申塔」(これもさっき3番に登場したね)もあるんだ。

 すごいって? でもね、もっとすごいものがあるんだ。ちょっとやそっと見ただけじゃわからないもの。ナンだと思う? 実はね、愛染院の鐘をつく鐘楼(しょうろう)の土台は、たくあん石でできてるんだよ。 

 鐘楼は、1701年(元禄14年)につくられたもの。あでやかで美しい切妻(きりづま)の建物は昭和 27~28年のものなんだ。この昭和20年代後半は、たくさんの練馬大根がモザイク病(※)にかかってしまい、農家の人たちがとても困っていた時代なんだよ。

 そこで、住職をはじめ寺を支える人たちが、300年の大根栽培供養(くよう)のために、鐘楼の土台となる基壇(きだん)を、働く人の汗がしみた、たくあん石で築くことにしたんだ。
 地元の春日町をはじめ、向山(こうやま)、田柄(たがら)、貫井(ぬくい)地区の農家が、1軒につき3個ほどのたくあん石を持ちよったところ、大小500個あまりの丸石が集まった。その石を、高さ約3メートル四方に積みあげて基壇にしたものが今も残っているんだよ。西側の壁には銘文(めいぶん)がはめこまれているから、行ったら読んでみよう!

愛染院の鐘楼

※モザイク病:はじめ葉脈(ようみゃく)が黄色になり、葉の緑の中に黄色の斑点(はんてん)が入る。葉はちぢまり、生長は止まり、枯れ死することがある。たとえ枯れなくても、満足な大根はできず捨てるしかない。大根にとって致命的な病害。