江戸の町と練馬大根


江戸時代の練馬(『江戸名所図絵』より)
 練馬大根がつくられはじめたのは江戸時代。その頃、練馬の近くには世界一大きな「江戸」という町が生まれた。江戸時代がはじまってから50年間で、ナント100万人の人が暮らすようになったんだよ。

 こんな風に、うわーっと人が増えたら困るものはナンだと思う?身のまわりのことに置きかえて考えてみようか。

 たとえば、キミの家族が4人だとするじゃない。それで今日、家に帰ったらイ・キ・ナ・リ40人家族になっていました…って想像してみてよ! いつもお腹いっぱい食べられるご飯を40人で分けなきゃいけないから、少ししか食べられないよね(カンベンしてよ~)。お腹ぺこぺこで帰ってきたのになあ(しょぼん)…。

 江戸の町の人も同じだったみたい。同じ地域に暮らす人が急に増えて、水と魚と米(※)をのぞいて、食べるものが不足するようになったんだ。大問題だったのは野菜!

 まだ人口(じんこう)が少ない頃は、武家屋敷(ぶけやしき)や江戸城内なんかでつくっていたんだけど、すぐに足りなくなっちゃった。そこで、今の板橋区、北区、練馬区、杉並区、中野区、世田谷区、目黒区といった、都心のまわりの農村が野菜の産地になったんだ。江戸の庶民(しょみん)や郊外(こうがい)にある農村が、町の人々が食べる野菜をつくるようになったんだね。


『農業図絵』(大根の収穫)
 農村でつくっていのは、おもに葉物(はもの)や葱(ねぎ)、大根、蕪(かぶ)。町から遠くなるほど保存しやすい野菜をつくっていたんだ。たとえば、埼玉の川越は、さつまいもをたくさんつくっていたんだ。運ぶのに時間がかかるからね。

 練馬では大根のほかに、どんな野菜をつくっていたと思う? けっこういろいろあるんだよ。大麦、小麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、もろこし、陸稲(おかぼ、畑で育てる稲)、芋(いも)、牛蒡(ごぼう)、ほかにも茄子(なす)、大豆(だいず)、蕎麦(そば)もつくっていたんだって。


「練馬大根献上図」(大森輝秋画)
 テレビドラマでおなじみの水戸黄門が、助さんや角さんと書いた本には、「中野や練馬に狩に行くとき、大根の畑を荒さないようにせよ。もしも踏んづけてしまったときは、代金を払うように代官たちに命ぜよ」と、将軍・吉宗が大根を大切にしていたことが書いてあるんだ。江戸の人にとって、練馬大根は貴重な野菜だったんだね。

※江戸の人の「水と魚と米」:飲み水は玉川上水から、魚は東京湾から、米は蔵前(くらまえ)に全国から運ばれてきた。