下肥の来た道 -清戸道(きよとみち)としもごえ鉄道-


『農業図絵』(大根をおみやげに肥汲みに)
 「清戸道(きよとみち)」(※)、またの名を「おわい街道」(※)が、練馬から江戸に通じる道だった。農家は朝の3時頃には、練馬大根を大八車(だいはちぐるま)に乗せて町へ出発。市場で大根を出荷したあと、町内をまわって下肥を運んだ。大八車に肥桶(こえおけ)を積んだり、2つの桶を、よっこらしょって肩にかついだりもしたんだって。当時は、大八車に6個の肥桶を積んで運べたら一人前(キミはもう大人だね、という意味)って言われてたらしいよ(重そう~)。


大八車


(左) 人糞尿の運搬  (右) 肥桶
 「しもごえ鉄道」っていうのは、いまの東武東上線と西武池袋線。化学肥料が一般的になる1944年まで、下肥を運んでいた鉄道のこと。

 東武東上線の池袋-川越間は1914年(大正3年)から。西武池袋線(当時は武蔵野鉄道)は1915 年(大正4年)から。西武池袋線が糞尿タンクを運ぶようになったのは1944年(昭和19年)からなんだ。

 けっきょく1950年代まで、しもごえ鉄道は下肥が使われている間は走っていたんだけど、1960年代になると、化学肥料がもてはやされ、見向きもされなくなっちゃったんだって(きびしい~)。世間がふたたび下肥という有機肥料の素晴らしさに気づくのは 1990年代になってからだよ。

※おわい:大小便、糞尿のこと。
※清戸道:いまの江戸橋、目白坂、目白駅通り、二又、円光院前、道楽橋、宮田橋、谷原交差点、大泉小、中島橋、四面塔稲荷へと続いていた道。