畑においでよ!

深まる学校とのかかわり

90年代後半以降、学校給食への食材の提供と、授業の一環としてのサポートという2つの面で、学校とのつながりが深まってきた。いまのところ2年生と3年生の生活科が中心で、1年生もサツマイモを植えに来る(保育園児はジャガイモを掘りに訪れる)。授業で畑に来るのだから、農家を学校教育の貴重な協力者と位置づけてくれる。ここからも、都市に農地があることの意義がはっきりと浮き彫りにされる。

地域環境における農業の役割

秋になると、大泉第一小学校、八坂小学校と大泉学園桜小学校の校庭へ、サクラやケヤキなどの落ち葉をもらう受けに行く。<中略>わが家の場合は、この落ち葉の堆肥を入れた畑で野菜が育ち、子どもたちの学校給食の食材となる。子どもたちはその流れを見ることで、リサイクル・循環のシステムを身近なところで実感として学び、農業が環境保全に果たす重要な役割をしるわけだ。

都市農業は地産地消に向いている

よく考えてみれば、都市農業の場合、多品種少量生産の農家が多いから、学校給食用に適している。直売がやれる条件があれば、学校給食にも対応できるのである。昔の酒屋さんが御用聞きに回り、注文を取って届けたように、庭先販売や直売所に持っていく延長に学校給食があったとしても、さほど負担にはならない。

小学校の授業に「畑」を使う

2002年度から、「総合的な学習の時間」が始まる。そのなかで、食と農を結ぶ学習が注目されているためもあって、学校教育で野菜や米を育てる試みが90 年代後半から広がってきた。とてもよいことだと思う。私は92年以来、畑を小学校の授業に使ってもらったり、学校給食に野菜を提供してきた。全国に同じような仲間が増えている。

意外に多い、東京の野菜生産量

東京に農業があるというだけで意外に感じる人もいるようだが、なかなかどうして頑張っている。東京都の野菜の生産量は約11トンで、自給率は7.9%になる(1998年)。この数字だけ見ると少ないと思うだろう。だが、人口で考えてみると、山梨県や佐賀県をそっくりまかなえるだけの量である。

都市農家はおもしろい!

都市の農業者である自分には、消費者が近くにいる。どんな人が食べ、どんな反応が返ってくるかを、ダイレクトに感じられる。そうした農業者としての醍醐味(だいごみ)が味わえるのは楽しい! と(30代の頃から)思い始め、農業が面白くなってきた。

農耕民族としての誇りを持とう

稲作を2000年以上続けてきた農耕民族である日本人が、農を辱(はずかし)めるなんてナンセンスじゃないか。ヨーロッパだってアメリカだって、農業を大事な生業(なりわい)として位置づけているのに、日本のそんな価値観はおかしい。

「百姓」考

「百姓」という言葉をなにげなく広辞苑(こうじえん)で引いてみて愕然(がくぜん)とし
た。(1)「一般の人民・公民」、(2)「農民」の後に、(3)として「いなか者をののしっていう語」と書かれていたのだ。<中略>これを呼んだ瞬間、怒りがムラムラこみあげてきた。そして、いつか必ず、この差別的な説明を書き直させてやろうと心に強く刻みこんだのである。「百姓=命と環境を慈(いつく)しみ、生きる者の糧(かて)を産み出す崇高(すうこう)な仕事」と。

農業のあらたな可能性

農業が、社会の受け皿としてあらたな役割を果たせたら嬉しい。
消費者を巻き込んで、面白く楽しい農業をやっていけたらと思うんです。
[ソトコト2000.11号掲載]

「農」の未来予想図

若い頃、オランダを旅して質素な暮らしぶりを見た。空港には日本企業の宣伝がドンでしょう。あの頃は日本が勝ったなと思ったもんです。でも今になってみて、豊かな自然がありながら、金だ、いい車だと目先のことで振り回されている日本に比べて、彼らの方が先を歩いていたんだなって思い当たったんです。産業革命から200年経て、ヨーロッパは農業先進国でしょう。でも将来、日本もああいう風になっていくのかなと思うんですよ。[ソトコト2000.11号掲載]