練馬ダイコンがこの地の特産物として定着してくるのは、江戸時代中ころからである。関東平野の米、江戸前(江戸湾)の魚、そして江戸校外一円の蔬菜などが、江戸の町を支える食料として生産されるようになる。
1800年頃、世界的に見ても江戸の町は、ロンドン、パリなどに並ぶ大都市であった。こうした時期、世界の他の都市が、人糞尿処理に悩み、伝染病に苦しんでいたことを思うと、江戸の町には、上水道が完備し、し尿処理には卓越したシステムを確立していたと言われている。
練馬に残る村方文書によれば、江戸の町民の人糞を貴重な肥料として重要視し、人糞購入のために、タクアンを代官所に納入するとしている。また、別の文書には、「町方の人糞と、武家屋敷の人糞では、武家屋敷のもののほうが良い」と記述しているものがある。その理由として、武家屋敷の人間のほうが、魚を多く食べるためとしている。
江戸湾では、干潟の微生物・生き物が、流れ込んできた有機物を、効率よく補食分解する。そして、貝、小魚、魚、海草など人間の食料になるものにしていく。江戸の町民は、これらの干潟で産出される魚介類・鳥類を食料として購入し、消費し、さらに人糞として排泄する。その排泄物は、江戸近郊農民にとっては、貴重な肥料として活用されていた。汚辱をきらう、日本の伝統的な生活・文化感は、多くの清水を抱える日本特有の自然環境から発しているのかもしれないが、清めを重視する日本人の生活感覚は、一方で、人糞の効率的な活用を追求させていたことになるだろう。 |